手話学入門 (執筆:神谷昌明  国立豊田高専教授 (元日本手話学会理事、元豊田市手話奉仕員))

「手話学入門」は、平成11年度12年度文部省科学研究費補助金 基盤研究(A)研究課題「手話電子化辞書拡充とその実用化のための総合研究」(研究代表者:中京大学神田和幸教授)の研究助成を受け、執筆されました。

主なテーマ:  *日本語対応手話と日本手話*  *日本手話の文法*   

「日本語対応手話」と「日本手話」


1 日本語対応手話(Signed Japanese)
 健聴者(聴者)が手話サークルや手話講習会等で学ぶ多くの手話は、音声言語である日本語に手話単語を一語一語あてはめていくもので「日本語対応手話」と言います。言い換えれば、このような手話は、手と指を使った日本語であり、手指日本語[しゅしにほんご](Signed Japanese:サイン化された日本語)と呼ばれています。日本語の単語に手話単語を一語一語、確実に対応させていくので、語順は日本語と全く同じになります。言語学の観点から見れば、日本語対応手話は日本語であり、手話(Sign Language)ではありません。この定義は言語学者、手話学者が行うもので、まだ一般社会には根付いていません。多くの人は、「日本語対応手話」を「手話」と呼んでいるのが現状です。

2  日本手話(Japanese Sign Language:JSL)
 近年、「日本手話」という言葉をよく耳にするでしょう。「日本手話」って何でしょうか? この場合の「日本手話」は「日本の手話」と言う意味ではなく、「日本語対応手話」とは本質的に異なる、ろう者独自の手話を意味します。これを「日本手話」と呼びます。英語で日本手話をJapanese Sign Language:JSLと言います。 この呼び方はアメリカの手話研究の影響を強く受けています。アメリカにも音声言語(英語)に対応する手話と、英語の文法とは全く異なるろう者独自の手話があります。前者を英語対応手話(Signed English:サイン化された英語で)と呼び、後者のろう者手話を「アメリカ手話」(American Sign Languae:ASL)と呼びます。皆さんASLという言葉聞いたことありますか。「日本手話」(Japanese Sign Language)と言う用語は、ASLの考え方に基づいて作られました。どの国にもその国の音声言語に対応する手話と、文法、伝達媒体が異なるろう者手話の、2つの手話が混在しているわけです。

3 ろう者は2カ国語使用者(バイリンガル:Bilingual)
 ろう者は2つの言語、日本語である「日本語対応手話」と日本語とは異なる「日本手話」を使いますので、言語学的にみて2言語使用者(Bilingual)と言えます。ろう者はどのようにして2つの言語を獲得するのでしょうか。ろう者は聾学校に入ると「口話法」で教育されます。(手話は基本的には禁止:状況はかなり変わりつつある。)ご存じの通り、口話法は先生の口の動きを理解するもので、日本語そのものです。口話法によって、ろう者は日本語対応手話を獲得する能力を身につけます。では、日本手話はどのように獲得するのでしょうか。ろう学校の休み時間、家庭、ろう社会(Deaf community)などで、自然言語として学んでいきます。特に両親もろうである場合に顕著にあらわれます。両親がろうである場合の子供を「コーダ」 (CODA:Children of Deaf Adults)と呼びます。両親がろうであるかないかで、子供の日本手話の獲得の度合いが異なってきます。ろう者は2つの手話を獲得し、場面に応じて使い分けているのです。健聴者がろう者と楽しく手話で話しをしていて、その場面に別のろう者が入ってきます。ろう者同士が手話で話し始めた時、健聴者は突然、手話が理解できなくなります。そのような経験あるのではないでしょうか。ただ会話のスピードが速いというだけの理由ではありません。ろう者は日本語対応手話から日本手話へ切り替えたためです。コード スイッチング(Code switching)と言います。

4 日本手話はろう者の母語
 日本手話は、日本語と文法が異なるため、ろう者の母語は「日本手話」であるという考え方があります。このような考え方はアメリカではすでに認知されています。アメリカの場合ですが、ろう者の母国語は「アメリカ手話」(ASL)であり、音声語である英語や英語対応手話はろう者にとっては第2言語(Second language)になります。逆に、アメリカの健聴者にとって「アメリカ手話」が外国語扱いになります。アメリカの一部の州では、高校や大学で外国語として、フランス語、イタリア語等と並んで「アメリカ手話」を選択することができます。「アメリカ手話」を外国語として取り扱っているのです。このような動きは近年、日本でもみられるようになりました。この運動を全面的に進めているのが、「ディープロ」(DPRO)と言う団体です。「ディープロ」とはDeaf Productionを意味し、木村晴美さん(NHK「みんなの手話」元講師)や市田泰弘(日本手話学会理事)さんが中心に活動を展開されています。基本的な考え方は、「日本手話」はろう者の母語であるということです。また、市田さん、木村さんの言葉を借りるならば、「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者(minority)である。」と定義することができます。また、近年、「ろう文化」(Deaf culture)宣言もされています。ろう社会(Deaf community)にも独自の文化があるということです。詳しくは『現代思想』(総特集:ろう文化)1996年4月臨時増刊号 青土社を参照して下さい。健聴者にとって、日本手話は外国語になるのです。日本語とは本質的に異なるのですから。木村さん、市田さんが出版された「はじめての手話」(日本文芸社)はこのような考え方に基づいた最初の日本手話の啓蒙書であると言えます。ろう者は、日本手話を話す言語的少数者と定義しましたが、この定義などに対応させて、「健聴者」のことを「聴者」と呼びます。 今までの「聴覚障害者」と「健聴者」という二分法は、病理学的な区分(障害があるかどうか)です。言語学や手話学では、このような名称は用いず、「ろう者」と「聴者」と呼びます。

5 中間型手話
 言語学的に異なる二つの言語、「日本語対応手話」と「日本手話」が存在することを説明してきましたが、双方の要素を取り入れた、入り交じった手話があります。このような手話を中間型の手話と呼び、言語学ではピジン(Pidgin:2つの言語の混成語)と呼びます。聴者の多くは日本語対応手話になっていますが、所々、日本手話的な表現が見られます。一方、ろう者も、今までの手話サークル(日本語対応手話が主流)や口話法などの影響でしょうか、彼らの日本手話の中にも、日本語対応手話が見られます。しかしながら、何が「日本手話」で、何が「中間型手話」であるのかはっきり区分できないのが現状です。

6 難聴者、中途失聴者が使う手話
 ろう学校でなく一般の学校に通っていた難聴者、中途失聴者は基本的に音声の日本語を耳にしながら生活をしてきましたので、彼らの使う手話は日本語対応手話に近いと言えます。言語学的にみれば、彼らは聴者と同じになります。

7 「シムコム禁止」? 何のこと?
 手話サークルや講習会で、または、手話通訳の場面でよく「シムコム」という言葉を耳にします。「シムコム禁止」と聞いて動揺する手話奉仕員や手話通訳士も多いと思います。「シムコム禁止」は、特にDPROに影響されている人がよく使います。念のため、言っておきますが、DPROは決して「シムコム禁止」とは言っていません。おそらく拡大解釈されたのでしょう。「シムコム(sim-com)」は、英語のSimultaneous Communication(同時に伝達する)からきています。日本語を話しながら、同時に手話も使うと言うコミュニケーション手段です。この場合の手話は日本語対応手話であっても、日本手話でもかまいません。一般的に言って、日本語を話しながら、同時に行う手話は日本語対応手話になります。日本語を話しながら、同時に、日本語とは異なる日本手話を使うことはかなり困難です。日本語を話しながら、手話を使えば、自然にその手話は、日本語対応手話になります。「シムコム禁止」とは口を動かさないで手話を使うこと。飛躍して言えば、日本語対応手話ではなく、「日本手話を使いなさい」ということです。しかし聴者にとって「日本手話」を使い、通訳することはかなり困難であると思います。

8  「日本手話」の言語学的研究
 日本における手話へのアプローチは、福祉、ボランティア、障害者運動に連動するものが多く、純粋に言語学からの研究はあまりありませんでした。ろう者手話の言語学的研究は欧米に比べて30年以上も遅れています。しかし近年、アメリカの手話研究の成果を受けて、日本でも、「日本手話」の研究が活発になりつつあります。(日本語対応手話は日本語ですので、言語学から見れば、あまり研究対象にはなりません。)正直なところ、「日本手話」とはどんな文法体系をもつ言語であるのか、完全には解明されていません。ろう者自身も、分からないで使っているのが現状です。純粋な「日本手話」を話すろう者は決して多くありません。 言語学者はまず、日本手話をできるだけ多く記録し、記述し、その中から文法体系を導き出す必要性があります。日本における「日本手話」研究の最大の恐れは、「日本手話」の完全な記述がなされる前に、これが「日本手話」の文法だと決めつけ、その文法規則を一般化することです。アメリカにおける「アメリカ手話」研究でも、このような過ちが一部ありました。日本の手話研究はアメリカの手話研究の影響があまりにも強すぎると思います。弊害が出ないことを祈らざるを得ません。

9 「日本手話」を学べる学校
 埼玉県所沢市にある国立身体障害者リハビリテーションセンター学院で学ぶことができます。 学院の中に手話通訳専門職員養成課程が設けられており、学問的に「日本手話」等をを学ぶことができます。 「はじめての手話」を書いた、市田泰弘さんや木村晴美さんが教官として指導にあたります。 
   問い合わせ先: 国立身体障害者リハビリテーションセンター学院 〒359 埼玉県所沢市並木4ー1
   Tel(042)995-3100(内線2630 市田泰弘) Fax(042) 996-0966
中部地区では中京大学オープンカレッジ(社会人等対象:夜間開講)があげられます。中京大学教授であり、日本手話学会会長の神田和幸先生やサイン加藤さん等が指導にあたります。 
  問い合わせ先: 中京大学総合企画部 オープンカレッジ事務局
Tel (052) 835-7110(直通) Fax (052) 835-3980

10 手話サークルでの手話学習のあり方について
 学問的にも、ろう者自身の手話、「日本手話」が意識されるようになり、ろう者も、自分たちの本当の手話を聴者に分かって欲しいと思うようになりました。聴者はろう者の使う手話が本当の手話であるとまず認識し、今までの聴者主導型の手話学習に疑問を持つことが、ろう者の気持ちを理解する第1歩であると思います。ろう者と「日本手話」を使って会話をするのが理想かもしれません。しかし今の段階では、「日本手話」がどんな言語であるのか完全には分かっていません。さらに「日本手話」の指導書もほとんど出ていません。
 このような状況の中で、お互いが一方的に主張しあっても、溝は広がるばかりだと思います。また聴者が日本手話を獲得することは、今の段階では、極めて困難なことだと思います。ろう者でさえも、どのように聴者に教えて良いのか分からないのが現状です。ろう者も聴者も、お互いに、もっと「日本手話」を研究すべきだと思います。いずれにせよ、聴者がまず「日本手話」がろう者の手話であると認識することがすべての第1歩です。(たとえ日本手話が全く使えなくても。サークルで日本語対応手話が主流であっても。)そのような認識が聴者側にあれば、日本語対応手話も、ろう者との間に成立する伝達手段ですから、決して否定されるものではありません。「日本手話」の扱い方などが混沌としている状況下で「シムコム禁止」という方向性は、時期尚早だと思います。(啓蒙運動として主張することはかまいませんが。) 手話サークルでは、今の段階では、「日本語対応手話」で対応せざるをえないかと思います。所々、「日本手話」による表現をろう者から教えてもらい、「日本手話」に対する理解を深めていくことが大切だと思います。
 近年、NHK「みんなの手話」もこのような考え方で進められています。昔は100%日本語対応手話でした。しかし、ここ数年、司会者や講師の先生は、「ろう者はこのような表現をします。皆さんも地元のろうの人に聞いてみて下さい。」等とよく説明されます。NHKは「日本手話」を意識した番組作りをしています。「日本語対応手話」と「日本手話」を交えていく、という方法は、ベストではないかもしれませんが、今の段階では選択せざるをえない方法ではないかと思います。
 NHK「みんなの手話」の進め方は、何か、手話サークルにおいて、ヒントになるのではないでしょうか。全日本ろうあ連盟から出ている「手話教室」新初級、新中級も、「日本手話」を意識した編集の仕方がしてありますが、よほどうまく使わないと、とても使いにくいテキストになってしまいます。 それなりの知識やノウハウが必要です。
「日本手話」をサークルの手話学習に取り入れるなら、NHK「みんなの手話」や市田さん、木村さんの「はじめての手話」が良い手本になるかと思います。そしてサークルのろう者の意見を聞いてみることがよいでしょう。 

 日本手話の特徴 日本手話の文法

 日本手話の(1)「非手指動作」と(2)「同時性」

 日本手話の特徴について話を進めます。日本手話の3要素の語順(主語、動詞、目的語の順序)は、基本的には、日本語及び日本語対応手話と同じように、「主語+目的語+動詞」の語順(SOV)になります。日本手話の語順は英語的という人がいますが、これは間違ったとらえ方です。
 日本手話を特徴づける極めて重要な要素は、「顔の表情」、「まゆの上げ下げ」、「視線の方向」、「うなずいたり首を振ったりする頭の動き」などで、「手」や「指」以外の要素です。このような要素を、非手指動作(non-manual behavior)と言います。日本手話ではこの非手指動作が、文法的な働き(否定、命令、肯定などを表す)をし、独自の文法体系を形成しています。非手指動作は、超分節音素の働きをしていると言えます。また日本手話は、「位置」、「空間」、「方向」をうまく利用し、2つの要素(手話と非手指動作、または手話と手話)を同時に使って、文を作ったりする特徴があります。
 例えば、「はじめての手話」から引用しますが、「きちんと使う」、「考えなしに使う」、「けちけち使う」という内容を日本語対応手話では、「きちんと」を表わす手話と「使う」を表す手話の、2つの手話を順番に並べます。音声言語同様に線状的(linear:時間の流れに沿うこと)になります。一方、日本手話では、「きちんと」を非手指動作(顔の表情)で表現し、「使う」を手話単語で表現します。それも同時に非手指動作と手話単語を表現します。日本語対応手話に慣れている人にとって、日本手話は、文の内容が短く感じられ、「使う」という手話だけに目がいき、どのように「使う」のか意味内容を読み取ることができません。

     日本語対応手話                         日本手話

 「きちんと」  + 「使う」  (線状的表現)       「きちんと」
  手話単語    手話単語                 非手指動作
                                      +         (同時的表現)
                                    「使う」
                                  手話単語

その他の日本手話の特徴として


(3) 疑問詞(何、どこで、いつ)が文末に来る傾向があります。
(4) 指さし(Pointing)を使うことにより、文法関係をはっきりさせたりします。
(5) 副詞的表現(たくさん、非常に)は、手話単語の繰り返しによって表現したりします。
(6) 位置・方向を利用して一つの手話単語で、文法関係を表現することができます。
 例えば「会う」という固定された(frozen)手話は方向を変えることによって、「誰が誰と会うのか」という表現が出てきます。
(7) 近年の研究では、日本手話にも複文、重文などが存在することが明らかになりつつありますが、まだまだ研究段階の域を超えていません。 次のような複文は日本語対応手話なら、接続詞(もし、--なので)を表す手話単語を用いることによって、容易に表現できます。

   もし神谷さんが行くなら、私も行きます。
   神谷さんが行くので、私も行きます。

日本手話では非手指動作などで複文を表現するようですが、なかなか理解するには困難なように思われます。ろう者にとっても判断が分かれます。


日本手話の特徴を端的にまとめれば次のようなります。
(1)手、指を使った手話単語以外に、非手指動作が、極めて重要な文法的な役割を果たしている。 
  ---- ろう者の豊かな表現力は文法関係を表しているのです。
  ---- 決して、オーバーアクションではありません。
(2)手話単語は、表現する際の「位置」、「空間」、「方向」等に結びつくことにより文法関係(誰々が何々をする)が生まれ文が生成されます。
  ---- だから表現が短く感じられるのです。

しかしながら、手話言語が持つ「同時性」(同時的表現)や「位置」、「空間」、「方向」に絡む手話単語が文法関係を生み出すことが、日本手話をより複雑なものにしています。日本手話は学習するだけでなく、研究する上でも極めて難しい言語であると思います。

今後の「日本手話」の研究方法
 動きを伴う手話単語、例えば、「雨」を表す手話単語は雨が降る様子を語源にしていますが、同時に「雨が降る」という文章にも理解できます。音声言語のように「名詞」、「動詞」の区分を「日本手話」の中に見いだすことは困難です。(一方、アメリカ手話には「名詞」と「動詞」の区別があると言われています。)手話単語の多くは動きを伴い、さらに「位置」、「方向」と絡み、その結果、複雑な文法関係が生じてきます。このあたりが手話研究の面白いところであり、難しいところなのです。単語だと思っていても、文になっている場合があるのです。近年では、日本手話を、形態論(単語を扱うレベル)の中で文法関係を扱おうとする研究方法が出てきました。音声言語は、音韻論、形態論、統語論の3分野に分けて、分析できますが、手話は形態論と統語論が重なり合います。そのため、手話研究では、形態統語論という言葉を用い研究を進めます。中京大学の神田先生が提案されましたが、私も同じような考えを持っています。「日本手話」が、音声言語同様、恣意的であり一つの言語として認知されるためには、形態統語論からの研究が精力的に行われることが第1条件であると思います。若い研究者が一人でも多く出てくることを期待しています。

「日本手話」を理解するための参考図書

初級編 「はじめての手話」 木村晴美 市田泰弘(著) 日本文芸社 1200円
Part 1が「日本手話」の概説で、Part 2が実践  日本手話の啓蒙書であり、是非読んでもらいたい本。

中級編  「基礎からの手話学」神田和幸、藤野信行(編) 福村出版 2060円

上級編  「手話学講義」 神田和幸(著) 福村出版 6500円
世界的な手話学の権威、中京大学教授である神田和幸先生が言語学から「日本手話」を分析した専門書。一般言語学、音声学、英語学(音韻論、形態論、統語論)、生成文法の基礎的な知識がないと読むのは困難。


手話言語学の文献リスト(市田先生)


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